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戦国武将を訪ねて… 「成田長親公」
前回に引き続き行田に行った時の模様をお伝えします。特に今回は戦国武将「成田長親公」を訪ねたお話しになります。皆さんは「成田長親」という戦国武将をご存じですか?ご存じの方も今となれば結構いらっしゃるかと思いますが、ものすごくマイナーでつい最近まで超無名な武将でした。
和田竜著「のぼうの城」(2007年刊)という小説がでるまでは…。この小説の主人公が今回、訪ねた武将「成田長親公」です。小説のベストセラーに伴って今月から映画の撮影も始まり、来秋公開だそうです。では「成田長親公」とはどんな人か?今、人気の武将とは程遠い感じの人。又、以前から人気のある武将とも違います。ただこの関東、それも埼玉(生え抜きの)にこんな武将がいたんだと知ると勉強不足を痛感させられました。
写真は「忍城」地図(1823)です。「忍城」は1479年に「成田顕泰」という人が築城しました。地図は江戸時代の物なので1590年「長親公」が城代を勤めた時よりも改修が加えられていると思います。見づらいですが青い部分は堀や沼です。その中に本丸や二の丸が島の様に浮いています。よってこの城を別名「水城」と呼んだそうです。この防備は「長親公」の時代からあったそうです。まさに天然の要塞です。この城で「石田三成公率いる豊臣軍」から迎え撃ったのが「のぼう様」こと「成田長親公」です。
写真は「忍城 御三階櫓」。残念ですが復元された城です。実際の「三階櫓」はもっと南方にありました。本丸跡に「御三階櫓」は「行田市郷土博物館」の一部として復元されました。ところで「のぼう様」とは「木偶の坊」を敬って呼んだそうで「長親公」は領民からもそう呼ばれていたそうです。当の本人も呼ばれてもニコニコしていたそうなので、さぞ温和な武将と言うよりもお兄ちゃんだったんでしょうね。
「御三階櫓」手前にあるのは「忍城東門とあずま橋」。復元されたのは他に「水堀」だけですが明治6年位まではかつての要塞が現存していたそうです。この地に立ってその頃の様子を想像すると感慨深いものがあります。マイナーな「長親公」が戦国きってのメジャー級「石田三成率いる豊臣軍」を迎え撃ち、その攻めに耐え落城しなかったなんて信じられますか?「豊臣軍」は関東のその又奥深い北にいる田舎武将なんて、はなからナメていたハズです。
写真は城の唯一の建造物「時の鐘櫓」です。これも南東の方角にありましたが現在は現存する土塁の端に移設されました。こうやって「忍城」周辺を歩いてみましたが「成田長親公」の名前はあまり見聞きできませんでした。おそらく行田の人も「長親公」の名を知っている人は少なく突然、脚光を浴びたんじゃないかと思います。来秋、映画が公開され観光客がドッと来たら大丈夫だろうかと心配になりました。(大河に取り上げられたら想像が付かない)もっとも関東の武将でメジャーなのは「北条氏」くらい。(それだって元は関東じゃない)突然、埼玉に凄い武将がいたと言われても(地元では以前から忍城の話は有名でした)慌てちゃうかもしれませんね。最後に「のぼう様こと成田長親公」をまったくPRしてない訳じゃありません。
写真は前回お話しした「古代蓮の里」内にある「展望タワー」の展示室から見た風景です。これだったら来秋、期待が持てるかもしれません。
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