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 Izakaya散策8軒目富山県富山市 

純喫茶〈ツタヤ〉

Izakaya散策 店舗一覧
今回も富山のIzakaya散策です。とは言っても居酒屋ではありません。喫茶店です。その昔、BARだったとという事で番外編でお伝えさせて下さい。実は今回の純喫茶〈ツタヤ〉とは僕の母方の実家、つまり祖父母のお店です。今は祖父母とも他界していて叔母が店をやっています。その〈ツタヤ〉も近々、取り壊されます。この界隈一帯が再開発の為、ビルに生まれ変わります。〈ツタヤ〉もその中で営業を続けていきます。そんな〈ツタヤ〉が生まれ変わる前に、今の〈ツタヤ〉をお伝えさせて下さい。

正面にコークの大きい看板が見えると思います。この角の建物が通称ツタヤビル」です。今回の再開発では左横の野村證券ビルから右横の白いビルまでが1つの建物になる予定と聞きました。

〈ツタヤ〉の向かいには旧大和があります。デパートでした。と言うよりも百貨店かな。昭和の初めの香りがプンプン漂っています。子供の頃、帰省の度に遊びに行きました。今は別の場所に移転して建物だけが残っています。できれば残して欲しい昭和の遺品です。
純喫茶〈ツタヤ〉の看板が見えます。この界隈は西町商店街と言って僕が学生の頃は富山県一の繁華街でした。〈ツタヤ〉は富山県最古の喫茶店として繁盛していたのをよく覚えています。店名の由来も店全体に蔦がかかっていたからです。残念ながら今はこの看板だけに残っています。
純喫茶〈ツタヤ〉は大正12年創業で僕の曾祖父が開業しました。きっかけは祖父が珈琲の魅力に取り付かれインドネシアのジャワ
まで言って珈琲の栽培を研究して珈琲豆を曾祖父に送り、その結果、曾祖父が〈ツタヤ〉を始めたと聞いています。
大正12年当時は相当珍しい店だろうし周りからも好奇の目で見られたと想像してしまいます。それでは店に入りましょう。
まずは珈琲豆挽売コーナーです。自家焙煎珈琲挽売の店ですので豆だけ買っていく人もいます。昔はもっと種類があったと思い
ます。写真の珈琲ミル(正式にはグラインダーと言うそうです)で珈琲豆を粉砕します。かなり年期が入ってますがちゃんと動いてました。
さっそく珈琲豆を買いました〈ツタヤ〉に帰って来る度ごとに買って帰ります。買うのはいつもツタヤブレンド」です。
カウンターに座って見た風景です。壁に紫煙が付いて、いい飴色になっています。昭和の時代、皆ここで紫煙をくゆらしていたんでしょうね。
富山出身の柴田理恵さんも地元のTVでゆるゆる富山遺産」として〈ツタヤ〉を推薦してくれています。
ここにも珈琲グラインダーがあります。もはやインテリアですね。
店内にある装飾品は祖父がジャワで集めた物だそうです。
これもそうです。いつしか〈ツタヤ〉のマークになり〈ツタヤ〉と言えばこのジャワの装飾人形が頭に浮かぶようになりました。
店外のシャッターや珈琲豆の袋の他にもマッチ箱にも人形のデザインがあしらわれています。


上の写真は2Fです。昭和プラス大正の香りまで感じませんか?子供の頃、親の目を盗んで従兄弟達とコッソリここに来て勝手に「クリームソーダ」「レモンスカッシュ」を頼んで飲んでいたのを思い出します。それにしても従業員さん達もよく運んでくれたなと思います。おそらく祖母に了解を得ていたんでしょうね。
その祖母も今は他界していて娘(つまり僕の叔母)が店を切り盛りしています。その叔母にアイスコーヒー」を入れてもらいました。美味しいです。さて冒頭で〈ツタヤ〉は昔、BARだったとお話ししましたが正式にはBARもやっていたです。今回〈ツタヤ〉からこんな物が出てきました。


1950~60年代中頃まで〈ツタヤ〉トリスバー」を営業していました。冒頭の写真、コークの看板のあるツタヤビル」の2Fだそうです。他にもレストランや屋上ではビアガーデンもやっていたそうです。もちろん純喫茶〈ツタヤ〉も営業しながらです。ただ僕が生まれた頃までは「トリスバー」等は営業していたそうですが僕の記憶では純喫茶〈ツタヤ〉しか憶えていません。上の写真は当時のトリスバー」ノベルティーグッズの石鹸です。なんと半世紀ぶりに出てきました。

石鹸自体も型崩れせず〈トリス〉と刻印されています。きっと他にも〈アンクルトリス〉のグッズがあったんでしょうけど残っていたのはこの石鹸だけでした。諸事情で60年代中頃までに〈ツタヤ〉のみを残してやめてしまったそうですがお酒好きの僕としては出来るのであれば当時に行ってトリハイ」又はTハイ」(今、流行のハイボールです)を飲んでみたい!
ちなみに〈ツタヤ〉の方でもトリハイ」出していたそうです「トリス」のノベルティーグッズ以外にはこんな物も出て来ました。
「コーク」のグラスですが1970年代初・中頃の物ではないかとの事です。今は「コーク」ロゴ上に「Enjoy!」ですがこコレは「DRINK」になっています。当時コレに氷を入れて「コーク」を出していたんでしょうけど箱詰めで綺麗に出てきたのでどうやら未使用のようです。


プラスチック製のマグカップ。裏には「日本コーヒー振興委員会」と印刷されています。1969年(昭和44年)、「飲むんだったらコーヒー」のキャッチフレーズで全国的なキャンペーンを展開したそうです。これも未使用のまま出て来ました。こういった物を片付けながら子供の頃、夏休みにここに来ては従兄弟達と店の2Fで(2Fは住居でした)宿題を済ませてこの界隈を探検したり夜中にコッソリ起きては「コーク」の瓶を廻し飲みしたのを思い出します。「ツタヤ」の料理の中で特に好きだったのが祖父の味付けによる「ツタヤカレー」。毎日のように食べてました。祖父は珈琲の焙煎と料理の開発で店に出る事はなくいつも裏方に徹して珈琲の香りのする人でした。祖父の開発した料理に「ツタヤブランチ」と言う物があります。モーニングとランチの間にだけ出す定食です。今でこそ「ブランチ」と言う言葉は一般的ですが今から40年近く前にそんな言葉を考えるなんて祖父はかなりのアイデアマンでした。そしてお店に出るのは祖母です。祖母は江戸っ子な人で絶対に富山弁をしゃべりません。客商売をやる上で(特に当時の富山県は相当な地方田舎町)あまりよろしくないと思います。それを持ち前のバイタリティーと明るさで跳ね返したんじゃないでしょうか。いつも祖母の周りには人が居ました。僕も良く憶えています。普段は優しくてハッキリしていて値切ってくれるのが上手でしたが怒らせるともの凄く怖い人でした。そんな祖母が他界して21年、祖父が他界して31年が過ぎました。そして今度は「ツタヤ」の番です。形を変えて営業は続きますがこの昭和レトロな建物や内装が無くなるのはやはり忍びないです。その昔、板画家の「棟方志功」画家の「山下清」、作家の「菊地寛」新劇俳優の「青山杉作」芸人の「トニー谷」等がこの店を訪れたそうです。そして珈琲を褒めてくれたそうです。そんな色々な人達が座った「ツタヤ」も時代の流れには勝てなかったんでしょうね。懐かしさや思い出だけでは食べていけませんからね「ツタヤ」が新しく生まれ変わっても珈琲の味だけは変わらず90年100年そしてもっと続く事を願います。
Izakaya散策のはずが今回は喫茶店を紹介しましたがその昔「トリスバー」を営業していたという事で番外編で純喫茶〈ツタヤ〉を紹介させて頂きました「ツタヤ」は今秋に取り壊しで2年後に再スタートの事。今秋と言ってもまだ流動的の様です。美味しい珈琲を飲みたい方、昭和レトロを感じたい方。是非、訪ねてみて下さい。日常から少しでも開放されるかと思います。

〈 純喫茶「ツタヤ」 〉

富山県富山市堤町通り1-4-1
TEL/076-424-4896

営業時間/13:00~18:30(日・月)
               12:00~18:30(火・木・金・土)
定休日/水曜日
お奨め/ツタヤブレンド(400円)

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