戦国武将を訪ねて…「後北条氏」その1《山中城と石垣山一夜城》
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戦国武将を訪ねて…「後北条氏」
その1《山中城と石垣山一夜城》
1590年「豊臣軍」の総攻撃を受けた「後北条氏」の城「山中城」。
その「山中城」攻略後、「後北条氏」本拠「小田原城」手前3Kmの山頂に築いた「秀吉」公の城「石垣山一夜城」。東西の築城の違いを比較してみたく、それぞれ訪ねてみた。
「山中城本丸」。
「一夜城本丸」。
「山中城二の丸」から「元西櫓」、その先の「西の丸」を見る。
「一夜城二の丸」から「本丸」を見る。石垣が良く残っている。
「山中城西の丸」から富士方面を見る。
「一夜城本丸物見台」から「小田原城」方面を見る。
ここから当時の東西の違いがハッキリ分かる。「山中城畝堀」。「後北条氏」独特の防御術。
当時の関東にはない石を使った防御術。
「山中城西櫓」と「西ノ丸」の間にある「障子堀」。「西ノ丸」の上にいる人達と比較すると「障子堀」の大きさや「西の丸」の高さがいかに大きかったが分かる。
「一夜城二の丸曲輪」に高く盛られた「本丸曲輪」。この上に更に「天守」があった。
「山中城土橋と木橋」の連結。いざという時は「木橋」を落としたのだろう。
「一夜城井戸曲輪」。当時の石垣構築術には圧倒される。
「山中城一の堀」。「山中城」は復元整備(不自然な位)され説明板も随所にある。これが無料で体感できるのには感動する。
「一夜城」の石垣。豪快な「野面積」。石が一つ抜けたら崩れるだろう事が分かる。
「後北条氏」の城はその言葉通り「土を盛る」。その事が良く理解できるのがこの「山中城」だろう。その「山中城」からわずか20kmの場所にある‥
「一夜城」。当時の最新技術を「後北条氏」に見せつけるが如くの「秀吉」公の思惑もここでは見て取れる。両者は東西の築城技術を短時間で比較できる、とても興味深い場所である。
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