戦国武将を訪ねて…「水野勝成」公 (福山藩主篇)
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「水野勝成」公 (福山藩主篇)
「水野勝成」公を訪ねて福山城へ‥。
かつての「三の丸」内にあるJR福山駅前ローターリーから「二の丸」を囲む「石垣」を見る事が出来る。この駅前自体はかつての「水堀」の上に建つ。1619年「勝成」公は「徳川秀忠」公から「大和郡山」に替わって「福山10万石」を与えられる。
「勝成」公は海上交通を重視し瀬戸内海に近いこの地に「福山城」と城下町を築いた。1622年完成の「福山城」は近世城郭で最後の城であり5重の「天守」に7基の「三重櫓」と長大な「多聞櫓」を持つ10万石の城としては破格の巨城である。これはひとえに「毛利氏」ら西国大名の監視・防衛強化を図る為のものだったのだろう。現在残っている遺構もしくは再建されたものを見て行く。
石垣の多くは「切込みハギ」と呼ばれる方形に整形された石が用いられている。写真は石を割る際の「矢穴」や大名達が刻んだ「刻印」が残る石垣。
「伏見櫓」。1601年前後に建てられたと思われる「伏見城松の丸東櫓」を1620年に移築。「熊本城宇土櫓」と並び現存する最古の櫓。
「筋鉄御門」。現存。本丸の正門。1階の扉や門柱に筋状の鉄板が打ち付けられている。
本丸西側に位置する「鐘櫓」。一部現存。
「月見櫓」。「伏見城」の櫓を移築。1966年外観復興。本丸東側「鏡櫓」と塀で繋がっていた。
本丸東側の「鏡櫓」。1973年外観復興。
「鏡櫓」から「亭櫓」まで続いていた「塀」が残っている。他の本丸内の「塀」は部分的に崩されている。
「天守」。1622年竣工。5重5階地下1階(計6階)の層塔型。1945年の福山大空襲で焼失。1966年外観復興。「復興」とは「復元」と異なり史実と比べて不正確な姿で再建される事を言う。
「天守」最上階「廻縁」。
かつての「本丸御殿」があった場所。「勝成」公はここに居住していた。
西国方面。この方向に身を砕いていたのだろう。この後「勝成」公は1638年幕府から「島原の乱」鎮圧への参加を要請される。嫡子「勝俊」公・孫の「勝貞」公を伴い約幕府軍に参加。老齢(75歳)にもかかわらず「勝成」公が参陣を求められたのは軍師としての意味合いが強かったのだろう。
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