戦国武将を訪ねて‥ 「二本松城」
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戦国武将を訪ねて‥「二本松城」
《二本松城大手門跡》
初代藩主「丹羽光重」が寛永20年(1643)二本松に入府した際「大手門」の築造を望んだが藩の財政状況により実現には至らなかった。9代藩主「丹羽長富」の代に家老である「丹羽久米介貴明」の構想によって悲願であった「大手門」がようやく築造された。しかし、慶応4年(1868)戊辰戦争敗戦後まもなく取り壊され現在「亀甲積み崩し」技法の石垣が往時の姿をとどめている。
《二本松神社》
旧二本松藩領総鎮守。「丹羽光重」入府に伴いこの地に遷宮する。
拝殿には「丹羽家」の家紋である「直違紋」が掲げられる。
《称念時》
「二本松城」を築いた「畠山家」の菩提寺。
《二本松少年隊群像》
慶応四年(1868年)戊辰戦争で若い命を散らした「二本松少年隊」を顕彰するために建立された。
我が子の出陣服に藩の家紋「直違紋」を縫い付ける母の姿も表わされている。
《箕輪門》
「丹羽光重」入府まもなく御殿と共に最初に建造した櫓門。やはり「直違紋」が掲げられている。「二階櫓」は再建によるものだが現存する絵図には描かれていない。
《三ノ丸》
「丹波氏」が移住した御殿跡。
《本町谷御庭》
初代「光重」から5代「高寛」にかけて整備された回遊式庭園。
《るり池》
《洗心亭》
二本松城に設けられた茶室。「光重」が愛した城内に唯一残る江戸期の建造物。
《霞ヶ城の傘マツ》
樹齢350年を越す赤松の巨木。「八千代の松」とも呼ばれている。
《洗心滝》
《空堀》
《土塁》
《安達太良山》
城の中腹から絶景が望める。
《二合田用水》
城の防備を目的として安達太良山麓より城内に引き込んだ用水路。幕府には内密で工事が行われた。全長は18キロを超える。
《日影の井戸》
「日本の三井」の1つ。石積みで深さ14m余りある。
今も豊富に水を湛えている。
《搦手門》
門柱を立てた左右の礎石。
《本丸石垣》
修築・復元された「本丸石垣」。写真の「石垣」の裏には別の「石垣」が保存されている。「蒲生氏郷」が「二本松城」に最初に築いた「慶長初期石垣」である。
「石段」を登ると「枡形虎口」が現わる。
《本丸》
《移築展示された旧石垣》
後世に「穴太積み」の特徴を伝えるために復元前の石垣を展示している。
《本丸直下大石垣》
最も古い「石垣」。積み方は「穴太積み」である。反対側にも「天守台西直下二段石垣」と呼ばれる「石垣」が露出されている。この様に「二本松城」は山上に中世山城、山麓に近世城郭を持つ城である。これは領主が代わる度ごとに改修が加えられた事によるもの。
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