戦国武将を訪ねて…「浅井長政」公 (前編)
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戦国武将を訪ねて… 「浅井長政」公 (前編)
近江は戦国武将の宝庫。今回まさに戦国武将達を訪ねて近江は湖北と湖東に行ってきました。まずは今年の大河ドラマの主人公「江」の父「浅井長政」公です。向かったのは浅井家三代の居城「小谷城」です。
車を「長政」公の時代は「清水谷」と呼ばれた場所に停めて出丸入口の方に向かいます。
その先で大河に合わせた博覧会「小谷・江のふるさと館」が開催されていました。
折角なので中を覗くとガイドの方が「小谷城」の見所を解りやすく説明してくれました。
「小谷・江のふるさと館」前からシャトルバスが「番所跡」まで出ています。もちろん歩きでもOKですが他にも行きたい所があるので合理的に利用しました。ここから「本丸跡」までは「語り部」さんが案内してくれます。
シャトルバスを降りると素晴らしい紅葉が迎えてくれました。
「番所跡」。当時はここで城内への出入りをチェックしていたそうです。
しばらく登ると「虎御前山」がよく見える場所にぶつかります。この山はかつて「小谷城」を包囲するために「織田軍」が陣を張った場所です。かなり間近なので驚きました。おそらく「織田軍」の動きはここから見張ったのでしょう。
「清水谷」もよく見えます。ここに「浅井氏」の居館があり「お市の方」や「三姉妹」はここで生活していたそうです。
そして「浅井家」にとっては縁深い「竹生島」です。琵琶湖に浮かぶ、この島が神島ならばここから見える姿に「長政」公も守り神として深く信仰していたのが分かる様な気がします。
もう少し先に登ると滋賀県の最高峰「伊吹山」が仰ぎ見られます。この時の山頂付近は雲がかかっていました。
そして紅葉が見頃の「桜馬場」。ここには「浅井家家臣供養塔」があり大河ドラマのロケも行われたそうです。
ここからは先程の「竹生島」や「虎御前山」とともに源平ゆかりの「山本山」も望めます。琵琶湖に浮かぶ小さな島「竹生島」右横の黒い山々が「山本山」です。 「秀吉」公による破城跡が残る「黒金御門跡」を抜けると…
城内最大の広さを誇る「大広間跡」にでます。ここで今回の大河の主役「お江」が生まれたとされています。 「大広間」に続く様な形で「本丸跡」の石垣にぶつかります。ここに登って下を見ると…
大きな空堀が見えます。下に降りて確認すると本当に大きな空堀です。「大堀切跡」と言います。「語り部」さんに写ってもらったので大きさが分かるかと思います。
そして浅井家家臣「赤尾屋敷跡」。ここは「長政」公、自刃の場所でもあります。「織田軍」に攻められ最期を悟った時、妻子を逃して自身は自刃する。享年29歳。ドラマ等で何度も語られてきましたが「小谷城」は火に掛けられていないそうです。「秀吉」公による破城の後は自然に朽ちていったそうです。
自刃の場所まで降りませんでしたが僕達が登城する少し前に「長政」公に御神酒を差し上げたいというご夫婦が向かったそうです。「長政」公と「お市の方」の夫婦仲の良さは有名ですが、そこにあやかりたいという方が多いのかもしれません。JR北陸本線河毛駅前にあるお二人の銅像がそれを象徴している様な気がします。 城を後にして向かったのが「実宰院」。ここは浅井親子が小谷落城を逃れて向かった場所、曹洞宗の寺院です。 「長政」公の姉「昌安見久尼」が中興した寺で三姉妹をかくまい、育て上げたと言われています。写真は「お茶々」に寄進されたと言う「見久尼」の木造です。ここではご住職さんのお話しが聞けます。 歴史年表的には逆になりますが「姉川古戦場跡」にも行ってきました。
「浅井・朝倉軍1万8000人」、「織田・徳川軍2万9000人」の合戦場はひとけもなく、どこにでもある川縁と言った印象です。 ただし慰霊碑を見ると430年前ここで壮絶な合戦が行われた事は紛れももない事実なんだと実感してしまいました。 この日、最後に訪ねたのは紅葉の名所「鶏足寺(旧飯福時)」。まさに紅葉は見頃を迎えていました。次回は琵琶湖に浮かぶ「竹生島」に行った模様をお伝えします。 リフォームに関するご質問・お問い合わせは、お気軽に下記、無料相談までお越し下さい。 リフォーム無料相談 ←ホームページはコチラから! (株)SHOT PLAN www.shot-plan.net TEL/048-989-6844 FAX/048-989-6845 MAIL/info@shot-plan.net
ここからは先程の「竹生島」や「虎御前山」とともに源平ゆかりの「山本山」も望めます。琵琶湖に浮かぶ小さな島「竹生島」右横の黒い山々が「山本山」です。 「秀吉」公による破城跡が残る「黒金御門跡」を抜けると…
城内最大の広さを誇る「大広間跡」にでます。ここで今回の大河の主役「お江」が生まれたとされています。 「大広間」に続く様な形で「本丸跡」の石垣にぶつかります。ここに登って下を見ると…
大きな空堀が見えます。下に降りて確認すると本当に大きな空堀です。「大堀切跡」と言います。「語り部」さんに写ってもらったので大きさが分かるかと思います。
そして浅井家家臣「赤尾屋敷跡」。ここは「長政」公、自刃の場所でもあります。「織田軍」に攻められ最期を悟った時、妻子を逃して自身は自刃する。享年29歳。ドラマ等で何度も語られてきましたが「小谷城」は火に掛けられていないそうです。「秀吉」公による破城の後は自然に朽ちていったそうです。
自刃の場所まで降りませんでしたが僕達が登城する少し前に「長政」公に御神酒を差し上げたいというご夫婦が向かったそうです。「長政」公と「お市の方」の夫婦仲の良さは有名ですが、そこにあやかりたいという方が多いのかもしれません。JR北陸本線河毛駅前にあるお二人の銅像がそれを象徴している様な気がします。 城を後にして向かったのが「実宰院」。ここは浅井親子が小谷落城を逃れて向かった場所、曹洞宗の寺院です。 「長政」公の姉「昌安見久尼」が中興した寺で三姉妹をかくまい、育て上げたと言われています。写真は「お茶々」に寄進されたと言う「見久尼」の木造です。ここではご住職さんのお話しが聞けます。 歴史年表的には逆になりますが「姉川古戦場跡」にも行ってきました。
「浅井・朝倉軍1万8000人」、「織田・徳川軍2万9000人」の合戦場はひとけもなく、どこにでもある川縁と言った印象です。 ただし慰霊碑を見ると430年前ここで壮絶な合戦が行われた事は紛れももない事実なんだと実感してしまいました。 この日、最後に訪ねたのは紅葉の名所「鶏足寺(旧飯福時)」。まさに紅葉は見頃を迎えていました。次回は琵琶湖に浮かぶ「竹生島」に行った模様をお伝えします。 リフォームに関するご質問・お問い合わせは、お気軽に下記、無料相談までお越し下さい。 リフォーム無料相談 ←ホームページはコチラから! (株)SHOT PLAN www.shot-plan.net TEL/048-989-6844 FAX/048-989-6845 MAIL/info@shot-plan.net