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戦国武将を訪ねて…「織田信康・信清」公

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戦国武将を訪ねて…「織田信康・信清」公

前回まで伝えた「桶狭間の戦い」。今回は国宝「犬山城」に行ってみた。この城の戦国武将となると築城から徳川の時代までにめまぐるしく変わっているので限定するのは難しいがここは築城者である「織田信康」公と嫡男「信清」公としよう。

「信康」公「織田信秀」公の弟になる。つまり「信長」公の叔父にあたる。「信康」公は現在の位置に城郭を造り、天守の2階まではその時による物と考えられている。

「大手門」。丸の内側から。

「大手門」。町屋側から。

「黒門」手前には「空堀」が残る。

「黒門」

基本は「野面積み」だが面を取っているいる部分もある。

2階。城内で何故かここだけが横格子の窓。障子も付いている。

2階「武者走り」

廊下(武者走り)と壁の際の部分が直線でない事が分かる。

これは2階だけで写真の3階にはない。

2階「石落としの間」。この2重2階までが1537年(天文6年)に「信康」公により造られ、1544年(天文13年)に嫡男「信清」公が城主となる。現在の形になるのは戦国期も終わった1620年(元和6年)頃。その時、3・4階を増築している。「信康」公は兄である「信秀」公に従うが「斎藤氏」との戦において戦死している。「信清」公は当初は従兄弟である「信長」公に従うも途中、反旗を翻す。だが「信長」公に攻められ最期は逃亡し甲斐へと逃げ込み「武田氏」の元で「犬山鉄斎」と称した。

「織田氏」後の「犬山城」3階から上も見てみる。「武者かくしの間」。いざという時ここから待機していた武者が飛び出して来た、との事だが暗闇から明るい所へ出て敏速に動けたかは疑問とガイドさんは言っていたが確かに一理ある。

「破風の間」「信康・信清」公の時代は屋根裏だったが、その後の増築により3階となる。

4階「高欄の間」より「伊木山城」を望む。

鉄橋すぐ後ろの小高い山が「鵜沼城」「犬山城」から両城とも1kmも離れていない。戦国期において、この辺りは重要な場所だった事が良く分かる。

中程の山が「小牧山城」「信長」公が築いた城。

神木「大杉様」。伊勢湾台風の際に落雷があり枯れてしまった。その時、杉の木が「犬山城」の身代わりになってくれたとして祀っている。

城は木曽川沿いの高さ約90メートル程の丘に築かれている。そこは崖っぷちで天然の要害だが「小牧・長久手の戦い」において「池田恒興」がここから攻め込み「犬山城」を奪取している。

左が「三光稲荷神社」。右が針綱神社」。共に「信康」公に縁がある。

「犬山城」は江戸期の城主である「成瀬家」が有名であり「織田家」を感じるのは難しいが行ってみると「太平の世」よりも「戦国期」を感じたような気がする。それは現存している「天守」「石垣」が古式豊かな味わいを伝えているからだと感じてならなかった。

今回「犬山城」を案内してくれたのは「犬山観光協会ガイドの星谷」さん。非常に楽しい話を聞けて感謝しております。


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