戦国武将を訪ねて‥ 「宇喜多」家
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戦国武将を訪ねて‥
「宇喜多」家
「宇喜多直家」は享禄2年「宇喜多興家」の子として備前国で生まれる。当時、備前国内旭川河口部は複数の派川に分岐しており、その中の大洲原と呼ばれる地帯に「岡山」「石山」「天神山」の3つの丘が連なっていた。その中の石山にあった「石山城」に「直家」が入城・改築、後に子の「秀家」が隣接する岡山に新たに本丸を設け「石山城」を込む形で城郭が建造された。
これが「岡山城」である。元亀元年に「直家」が岡山城主「金光宗高」を謀殺しこの地を支配した。「直家」は備前守護代「浦上宗景」に仕えながら勢力を急速に伸ばしていった。天正元年「直家」はそれまでの居城「亀山城」から「石山城」に入城し改築と城下町の形成を行った。この頃の「石山城」は縄張が東西に走る連郭式であったと思われる。主家「宗景」の居城「天神山城」は山城で小高い丘の「石山城」とは対照的であった。天正3年「宗景」を播磨へ放逐。事実上の下克上を行った。やがて備前、美作、播磨、備中の一部を支配下に置いた。
子の「秀家」は父の遺領をほぼ継承し57万4千石の大大名となる。これに相応した城とするため天正18年から慶長2年の8年間にわたり大改修が行われた。「秀家」は「岡山城」を「織豊系城郭」の特徴である高石垣の積まれた城とした。
2枚の写真は「宇喜多氏」築城時の石垣。「秀家」は「直家」時代の城下町を拡大整備し引き続き領内の経済活動が発展するよう努めた。
江戸時代になってからの創建である月見櫓。現存である。
「直家」は天正9年(1581年)に「岡山城」で病死。子の「秀家」は慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で西軍の主力となったため八丈島に流刑となった。ここで「宇喜多家」は改易となった。
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