戦国武将を訪ねて…「小田 氏治」公
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戦国武将を訪ねて…「小田 氏治」公
「小田 氏治」公。30年以上にもおよぶ「小田城争奪戦」など度重なる合戦でしばしば勝利を収めた武将。その「氏治」公を訪ねて梅雨時の「常陸小田城」を歩いてみた。
現在も城下町然とした「田土部郭」に入ると‥
「水路」がある。
この辺りは湿地帯である事が‥
「水堀」だった場所でも良く分かる。写真、道路脇の水田がかつての「水堀」。「小田 氏治」公は父祖代々のこの地を死守すべく「上杉」と「北条」の狭間であらゆる方法を用いた。関東の武将は個の武勇には長ける。が連帯性に乏しいか時の勢力に呑みこまれていく風があったようだ。
「小田 氏治」公もここから「筑波のお山」を見ていたハズ。
この辺りは「馬出し」だった場所。
「大手口」から城内を望む。
当時もこの季節であれば水が溢れ土はぬかるみ、籠城策を選択した場合は優位だったのではないかと想像してしまう。
「本丸」内。
「本丸」から「大手口」を望む。
「櫓」があった辺りから「水堀」を望む。
現在の水田(かつての「水堀」)にかかる橋。当時はもちろんなかった。
「土塁」上から「本丸」を望む。
復元整備中の為か場所によってブルーシートが掛けられていた。
「小田城碑」。
「小田城碑」が建つ辺りは「涼台」と呼ばれる場所。
東側の「水堀」。ここからの景色が一番それらしい。
「大手口」付近には八代「小田考朝」公の詠んだ詩も掲示されている。興味深いのは「北畠親房」公の詠んだ露の一句。この梅雨の時季だからか「筑波」の山影を見ていたら妙に心に響く詩に感じた。そして「小田 氏治」公が守ったこの水田地帯は「筑波のお山」から戴く豊富な水によって、きっと潤っていたのだろう。
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