戦国武将を訪ねて…「豊臣秀吉」公 後篇
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戦国武将を訪ねて…
「豊臣秀吉」公 後篇
「秀吉」公を訪ねて大阪城へ‥
「金庫」。江戸幕府が設けた唯一現存する金蔵。その向うは「旧陸軍第四師団司令部庁舎」。「天守」と同じ昭和6年に建てられた。
「復興天守」。
「金明水井戸」。かつて「秀吉」公がここに黄金を沈めたという伝説があった。
「天守」最上階より城北地区を望む。
「天守」北側にある「山里郭」。「秀頼・淀殿」母子、自害の地。
「刻印石広場」。
昭和40年に再架橋された「極楽橋」。「秀吉」公が「大坂城」築城の際にもこの辺りに「極楽橋」を架けたそうだ。
「京橋口の枡形巨石」。これも「徳川大坂城」時代の物。
「乾櫓」。1620年造営。こちらも「徳川大坂城」時代。
「秀吉」公時代の石垣。「三の丸」で発見された姿をそのまま「天守」北西にあるドーンセンター内に移築。数少ない「秀吉」公の遺構。
日本経済新聞大坂本社敷地内で発見された「石垣」。残念ながら「秀吉」公時代のものではない。
「筋鉄門跡」。「徳川大坂樹」時代の遺構。明治維新後の軍事工場の正門にも使われた。
「三の丸」から見た「北外堀」。さて、この「大阪城」で「秀吉」公を感じる物は見える範囲で殆どない。救いは先の「豊國神社」で分かる通り市民の心の内に「太閤さま」を大切にしている様子が伺える事だろう。
最後に訪ねたのは大阪最古のお社である「生國魂神社」。「秀吉」公による「大坂城」築城に際して現在地へ移転。「秀吉」公は300石の社領を寄進して社殿を造営した。「秀吉」公も又、大阪の地を愛し尽力していた事が伺える。
もう1つは「勝鬘院」内にある「多宝塔」。聖徳太子創建の物を1597年「秀吉」公が再建。桃山様式による物だが「秀吉」公らしい豪華さを見る事が出来た。
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