戦国武将を訪ねて…「米沢上杉家」①「上杉景勝」公
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戦国武将を訪ねて…「米沢上杉家」①
「上杉景勝」公
「上杉家」を訪ねて「会津」そして「米沢」へ‥。
最初に訪ねたのは「米沢初代藩主・上杉景勝」公。
まずは会津「鶴ヶ城・廊下橋」。ここは「景勝」公時代の「大手門」。
城内にある「謙信公仮廟所跡」。1598年「景勝」公は「会津」への国変えに伴い「謙信」公の遺骸を「越後」からここへ移した。これより「上杉家」は常に「謙信」公を最上の場所に置き「上杉」の支柱として崇めていく。さて「鶴ヶ城」に移った「景勝」公はさらに新たな城の築城にはいっていく。
「神指城」。1600年2月に築城開始されるが‥
「徳川軍」の進軍により中断。「景勝」公はここを「鶴ヶ城」に変わる政治経済の中心とする構想を抱いていたようだ。「関ヶ原合戦」後、「上杉氏」が「米沢」へ移されたため未完となる。写真は「二の丸」北東隅の土塁跡。
復元図の右下の部分になる。
「土塁」上には現在もケヤキの大木がある。「高瀬の大木」と呼ばれ築城前からあったようだ。
「神指城」が完成していれば、この様な城郭に‥。
平面図も添えられていた。絵や図から察するに今、立ってるここは‥
「本丸」への正規ルートである「大手門橋」のようだ。当時、未完に終わったこの城を残し「上杉氏」は「徳川氏」により北の方角にある「米沢」に移される。その為には「磐梯山」・「吾妻山」を超えていかなければならない。
現在「西吾妻スカイバレー」と呼ばれる道路は当時も徒歩や馬で越えていたようだ。「景勝」公もこの道を使った事を想像して‥
「城下町米沢」へ。まずは「米沢城」へというより神社の境内という印象が強い‥
「上杉謙信」公を祭神とする「上杉神社」へ。ここはかつての「米沢城本丸」になるが本丸全域が神社というのは全国的にみても珍しい。
参道沿いに建つ「景勝」公と軍師「兼続」公の主従像。
義父である「謙信」公を敬慕していた「景勝」公は「米沢城」築城においても本丸南東の位置に「謙信」公の遺骸を安置した。ここは「上杉謙信公祠堂(御堂)」と呼ばれ城内において最も神聖な場所として代々の米沢藩主に敬られた。明治になって遺骸は「上杉神社」西の方角にある「上杉家墓所」へ。「祠堂(御堂)」は北の方角にある「長命寺」の本堂として移築。現在、跡地には「謙信公祠堂(御堂)跡」として石碑が建つ。
「長命寺」。「景勝」公に従い「越後」から移ってきた浄土真宗大谷派の名刹。
かつての「謙信公祠堂(御堂)」。現在は本堂となっている。
最後に訪ねたのは「松岬神社」。「上杉鷹山」公などと共に「景勝」公が合祀されている。ここで「米沢」の地を歩く事の許しを請うて、さらに「上杉家」を訪ねてみたいと思った。
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