戦国武将を訪ねて…「米沢上杉家」③「前田利貞(慶次)」公
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戦国武将を訪ねて…「米沢上杉家」③
「前田利貞(慶次)」公
「前田慶次」の名で知られる「利貞」公が大禄で召し抱えようとする大名を見限り終生の幕を閉じる地として選択したのが「米沢」。「義」を貫く「上杉」に惚れこみ「景勝」公の下で60歳を超える老齢ながら大槍で功名をあげた。その「利貞」公が隠棲した米沢郊外の「堂森」を訪ねてみた。
「前田慶次」ゆかりの里 堂森 の立て看板が見えるこの先に真言宗の寺院「堂森善光寺」がある。
「堂森善光寺山門」。ここを抜けると‥
「慶次の力石」がある。ここで余生を送った「利貞」公が地域住民と力試しをしたと伝わる安山岩の石。
「阿弥陀堂」。「善光寺如来」と「見返り阿弥陀像」が安置されている。
「前田慶次供養塔」。昭和55年に建立される。
社の中には関連する写真や書籍のカバーが見える。
「善光寺本堂」裏山を登ると「月見平」と呼ばれる場所に辿り着く。ここで住民や友人を招いて月見などをしたそうだ。
「月見平」から「上杉神社」の方向を望む。
「堂森善光寺」からそう離れていない場所に「無苦庵跡」がある。ここに「利貞」公の暮らした屋敷があった。
その「無苦庵」の飲用水として掘られた「慶次清水」。農業用水として今でも使われている。この「堂森」の地に「利貞」公ゆかりの跡が大切に残されているのは地域の人に今でも慕われている証だろう。さて「米沢北寺町」にも「利貞」公の墓があった。
「一花院跡」。1616年に死去した「利貞」公は「堂森善光寺」と、ここ「一花院」に埋葬されたと言われている。但し定かではないそうだ。
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