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戦国武将を訪ねて…「前田利家」公 後篇

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 戦国武将を訪ねて…

前田利家」「前田家」後篇 


「加賀藩前田家」とその祖たる「前田利家」公を訪ねて「金沢」へ。

「金沢」の町は今でも「利家公とお松の方」と呼んで慕っている。市内には実に多くの周遊バスが走るがそこにも写真の様に印字されていた

その「利家公とお松の方」を祀る「尾山神社」へ行ってみた。

ここにはかつて加賀藩主の別邸「金谷御殿」があった。明治になってから旧加賀藩士がこの地に社殿を建てた。これは「利家」公の功績を後世に伝える為との事。

ここで有名なのはこの「神門」であろう。明治8年建築。

江戸時代を通しての「利家」公を祀る社殿は「卯辰山麓」にある「卯辰八幡宮」であった。これは二代「利長」公が公然と「利家」公を神とする事が叶わぬ為に守護神としていた「物部八幡宮」「榊葉神明宮」を遷座する名目で卯辰山麓に社殿を建立。そこに「利家」公の神霊を合祀した。現在は「尾山神社」に遷座され名も「宇多須神社」と改められている。写真は「宇多須神社」の山門と拝殿。

又、「前田家」は先の「玉泉院丸庭園」「藩庭」を好みその代表的なものが5代「綱紀」公から始まり13代「斉泰」公が現在の形にした「兼六園」

「根上松」等、園内には当時の木々が多く残る。

「兼六園」に隣接する「成巽閣」。13代「斉泰」公が、母である「真龍院」の隠居所として建てる。

同じく「兼六園」に隣接する「金城霊澤」。12代「斉広」公の隠居所がこの近くに建てられた。

城下にも往時の姿が良く残っている。「鞍月用水」。3代「利常」公が掘らせた「金沢城」「外惣構」

「大野庄用水」。金沢最古の用水路。右側が家臣の屋敷になる。 

用水路を渡れば家臣団の屋敷が連なる。

その1つが「野村家」

「前田家」の重臣であり屋敷の当主「野村伝兵衛信貞」「末森城の戦い」において着用した甲冑。

15代「利嗣」公筆による掛軸。

ここ「長町武家屋敷界隈」で唯一、一般公開されている「野村家」。写真は「格天井の上段の間」

さらには「明智光秀」からの感謝状や‥

「朝倉義景」からの感謝状が残る。

次に東山周辺に目を移す。「久保市乙剣宮」境内の裏手から「主計町」へと抜ける‥

「暗がり坂」がある。花街に遊びに行く旦那衆が通った坂。

「主計町」から「浅野川」見て歩き‥

「ひがし茶屋街」へ。江戸時代ここ「浅野川」「犀川」両界隈には多くの茶屋が立ち並んでいた。1820年「浅野川」東側に「ひがし」の茶屋町、「犀川」西側に「にし」の茶屋町が集められて整形な街割が造られた。

ここでは金沢一大きなお茶屋「懐華樓」へ。藍色の壁や朱色の壁は非日常な場所である事を演出している。

更には黄金に輝く畳には驚かされた。

最後に行ったのが「寺町」周辺。ここで注目すべきは「妙立寺」。人、呼んで「忍者寺」と呼ばれている、3代「利常」公が創建した日蓮宗の寺である。

「利常」公は多くの武士が起居できる寺院群を新築。その中心に監視所として「妙立寺」建つ。要塞としての機能を備えた「妙立寺」には「隠し階段・隠し部屋・落とし穴」等、外敵を欺く種々な仕掛けを備えている。江戸時代から近世にかけて戦火を免れた「妙立寺」は歴代藩主の祈願所として崇拝されてきた。ここは予約をすれば丁寧にガイドをしてくれるので「前田家」を知る上でも外せない場所だろう。

今回はここまでだが「金沢」には多くの「前田家」の遺構が残る。戦火を免れた事もあるが多くの市民が「前田家」を慕う気持ちのなせる技からだろう。

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