戦国武将を訪ねて…「小笠原忠真」公
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「小笠原忠真」公
「関ヶ原合戦」の4年前、慶長元年(1596年)に生を受けた「小笠原忠真」公を訪ねて‥
「明石城」へ。
1617年信州松本より明石に国替えとなった「忠真」公は明石城の南西約1kmの明石川河口西岸にあった「船上城」に入城。1618年「小笠原氏」10万石の居城として又、西国諸藩に対する備えとして城郭を建設するよう将軍「秀忠」公より命令される。
普請は1619年に始まった。「本丸・二ノ丸・三ノ丸」の「石垣」及び「土塁」「堀」等の普請は同年中に終わっている。
「東ノ丸」の北側にある「薬研堀」。
「二ノ丸」から瀬戸内方面を望む。
「本丸」の北側にある「桜堀」。
「二ノ丸」から「本丸」へ。
「本丸」から瀬戸内方面を望む。
「巽櫓」。
「坤櫓」。
「石垣」等の普請後「忠真」公は直ちに「櫓」「御殿」「城門」「塀」等の作事に入る。廃城となった「伏見城」等の資材が用いられた。
「天守台」。「天守」は築かれなかったようだ。
「稲荷曲輪」。
「武蔵の庭園(樹木屋敷)」。
「忠真」公に長く仕えていた「宮本武蔵」は「忠真」公の命を受けて城内(現在の陸上競技場附近)に「樹木屋敷」を造ったという記録が残る。また「武蔵」は城下の町割を行ったともい言われている。
「御茶屋」。藩主が客を接待した場所。この後「忠真」公は豊前小倉15万石に移封される。「島原の乱」の際には長崎守備の任も果たしている。
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