戦国武将を訪ねて…「武田信玄」公 前篇
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「武田信玄」公 前篇
大永元年(1521年)「武田信玄」公は「要害山城」の裾野にある‥
「積翠寺」で誕生した。本堂裏手には‥
「信玄」公が産湯を浸かった井戸が残る。
「要害山城」は父「信虎」公が甲斐統一を達成し永正16年(1519年)に本拠とした「躑躅ヶ崎館」の防御の城として知られる。
標高770mの山には今も「土塁」等の跡が状態良く残っている。
山頂の主郭部は東西73m・南北22mの長方形。周囲を土塁で囲んでいる。
「信玄公誕生之地」の石碑も建つ。
興味深いのは「要害山城」の裾野に「信玄」公の隠し湯と呼ばれる湯が今も脈々と湧いている事。ここで傷病兵を治療させたと言われている。
「武田神社(躑躅ヶ崎館)」や甲府市内が一望できるこの宿は‥
「甲府積翠寺温泉 要害」。日帰り入浴もできるので「要害山城」に登城した後は是非、立ち寄りたい。
「要害山城」の南2.5kmの場所に「武田神社(躑躅ヶ崎館)」がある。「躑躅ヶ崎館」は甲府盆地の中央平地に3つの「曲輪」を東西方向に並べ「水堀」と「土塁」をめぐらせている。
現在、南側の「水堀」にかかる橋(神橋)は当時なかった。
今も神社を囲む「水堀」は当時の様子を良く理解する事が出来る。
当時の「大手口」は東側にあった。
かつて「大手口」前には「武田流築城法」の特徴である「丸馬出」という小区画があった。現在は武田氏滅亡後に入った豊臣の武将による構築が復元されている。
現在の城内には「石垣」も幾つか確認される。しかし「信玄」公時代にはなかった。これらも豊臣もしくは徳川の武将によるものである。
「土塁」‥
「堀切」‥
「西曲輪北側枡虎口」‥
その先にある「土橋」等、間違いなく戦うための城である。
又、現在も発掘調査が進んでいるようだ。
しかし紛うことなき事にここは神社である。写真は「拝殿」。
そこには「武田二十四将」の大杯が誇らしげに飾られている。
最後に「姫の井戸」でお水取りをさせて頂いた。「信玄」公の時代ここが生活の中心になる場所だったようである。
「甲斐善光寺」。
「信玄」公が「川中島合戦」の際にご本尊が戦火にあうのを避けるためにここに移し建立した寺である。「信玄」公の信濃侵攻を脈々と伝えている。
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